お早うございます。
4月29日は6時前に起床。
差し入れのパンや、カップ麺、レトルトのご飯などを湯煎して 手早く朝食をとり、7時に出発。
共に走った2台
宿泊したコテージ 綺麗に見えますが、中は虫が一杯でした。
山道を走り、7時30分に復興市会場のベイサイドアリーナに到着。 9時30分の開会に備え、準備を始めます。
そう 今回は復興市にとんぺい焼きを出店して売り上げを寄付しようという試みです。
とんぺい焼きの準備中
拡大していただければ、主催者側が用意してくれたチーム名の看板と私が書いた看板が判ると思います。
三津屋のオリオンとぼんちのお菓子をお土産に持っていきました。
9時30分、サイレンの合図で被災者への黙祷から復興市が始まりました。
初めは舞台の方でオープニングイベントがあるので、10時くらいからお客さんが増えてくるだろうと思っていたのですが、最初抱いた不安が 的中。
メイン会場は人が溢れていますが、11時なっても、12時が来ても人通りは増えません。
「新世界名物」とか「通天閣名物」とか「スカイツリーでなくてゴメンね」とかキャッチコピーを考えて貼り付けたのですが、人が通らなくてはどうしようもありません。
身内にウケました。 (参加者の一人、中学生のK君との距離が少し縮まったでしょうか)
実は私たちの店舗はメイン会場から少し離れており、しかも一段下(3mほど)で駐車場やバス停からの人の流れから外れているのです。
私たち以外にも4店舗あったのですが、皆さんボヤいておられました。
ゴミ箱も置いてなかったのは、主催者側も人通りが無いのを見越していたのかもしれません。
私も 「三津屋納涼夜店」などを主催してますが、あんなレイアウトにはしませんわ。
佐藤町長も参加されてましたが、私たちのハナレには来られませんでした。
私なら、全ての店舗を回り、「今日はお疲れ様です。ありがとうがざいます。」とお礼しますけどね。
14時半ごろ 店仕舞いをし、後片付けをして15時半ごろアリーナを後に、 「さんさん商店街でお土産を買い、16時30分 南三陸町を出発しました。
TVニュース等で有名になった石巻の「がんばろう石巻」の看板に立ち寄り、ここも献花台があったのですが花を用意してなかったので、合掌して題目三唱だけ捧げました。
この看板を作ったのもMちゃんも同志です。
Mちゃんと親しみを込めて呼んでいますが、その組織では彼の方が役職が上なので、Mちゃんと呼ぶとワイフは怒っています。
ここに辿り着くのに、交番の前で若いおまわりさんに道を尋ねたのですが、酷い砂利の凸凹道を教えられました。
並行して舗装路があったようなのですが・・・WHY?
18時、石巻を出発。
三陸自動車道、仙台南部道路を通って東北道へ。
途中、仙台平野も荒廃したままで、津波が遡った名取川沿いを通過した時は胸に込み上げるものがありました。
菅生PAで牛タンや仙台味噌などのお土産を購入後、運転をMちゃんと交代、磐梯山SAで晩飯を摂り、21時出発。 ここからは2番めに若い(中学生がいますから)T君が運転。
プリウスは3人で運転しますが、ノアはS君とN君の2人なので気の毒です。 5人で回そうかとも思ったのですが、ややこしいから諦めました。
関越道でバスが交通事故を起こしていたので(この時点ではあそこまで悲惨とは知りませんでした)、「気を付けようで」 と慎重に運転。
明け方、多賀SAのレストイン多賀で入浴、疲れを少し癒し、軽く朝食を摂って6時40分大阪着。
大量に売れ残った豚肉と卵を分配して、解散。 7時30分に我が家に帰還しました。
総走行距離2033㎞の 「小さなボランティア」が終了しました。 みんな お疲れさん!